楽泅舎主人(水右衛門)が日本泳法の一隅を照らします・・・


一隅を照らす

これは作家の神渡良平さんが対談の中でこの人生を取りこぼさない為の言葉として話されていたものです。
自分がスポットライトを浴びる舞台の前面に出ないで、舞台の隅を照らし続けることに共感を持ちました。
思えば先師、加藤石雄は「水の音」というオヨギ専門誌を出しておられました。
一流儀にこだわらず歴史も含んだいろいろなオヨギ情報を同好の士と共に発信し続けられました。
先師亡き後何とか続けたいと思い、2回発刊しましたが諸般の事情でその後が続きませんでした。
自分でやってみて初めて先師の偉大さ、ご苦労がわかりました。
最近この言葉が天台宗の開祖である伝教大師から出たということを知りました。
「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」
(2000年9月)


2008年12月 橋水右衛門


指導者の責任

当流では「自然態を尊ぶ」と教えられています。自然態とは無理のない自然の流れとでも解釈できるでしょうか。この事を理解するには自分が自然態を体験しなければならないと思います。

私は遠泳を初めて経験した時に、手足の疲れよりも首が痛い事に気付きました。その時は子供でもあり、さほど気に留めていなかったのですが、回を重ねるたびに不思議に思ったものです。今から思えば自分の体勢に無理があり、その為に首を反らせる状態で平游を泳いでいた事になります。顎を上げて首を反らせると胸が反り、肩が後ろに引けて沈みやすい姿勢になります。とても自然と言える体勢ではなかったようです。

このように当流の平游は長い距離や永い時間を泳ぐことを目的として、その自然の型ができています。そのための体勢作りが大切で、目的を知らなかったり、忘れていては当流の基本の平游の意味がなくなります。

今年の夏の日本泳法大会でも、ある団体で明らかに自然態でない平游をした選手達がいました。その為に途中で息切れを起こし、リズムが狂ったり沈んだりしてひどい状態でした。これは指導者が経験不足の為に、理屈を理解しないで無理に型に押し込めようとした結果であると思います。

特に子供はほって置いても自然の形になるものです。回り道をしないで少しでも早く自然の形になるようにポイントを指導するのが指導者としての役割・責任です。

自分の経験不足を棚に上げて、型のみに固執する指導者のあり方には甚だ疑問が残ります。そのような指導者に習っている生徒こそいい迷惑です。早く目を覚まして欲しいものです。

読者の皆さんも自分には関係ないと思っているかもしれませんが、いずれは指導者の立場になります。ではどのようにすればよいのでしょうか。

練習会では自分の分からない事を先輩に聞く事です。聞かれた人は自分が分からなければその又先輩に聞けばよいのです。自分が分かっている範囲でしか指導はできないという事です。このような連鎖によって自分の分からないところが明確になり、経験を積み成長する事ができます。このようにしていけば教える事もまた自分のための勉強です。

私には3人の偉大な先生(加藤石雄・瀬尾謙一・宮畑虎彦)がいました。しかし、今は教えてもらえる先生がいません。先代は私が自分で学べるように「自然態」という言葉をもって教えを下さったと思っています。自然でないと当流約400年の歴史を次代につなぐ事はできないと思います。行き詰った時に自然態で解決できる事が多くあるからです。指導者は弟子の数歩先を歩いて、常に距離が縮まらないように心がけなくてはなりません。差がなくなった暁には免許皆伝となるのでしょう。

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